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恩田 和明島根県立安来高等学校同窓会 関東中の海会会長兼事務局担当

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いよいよパリへ 長い旅の終着街

[ テーマ: 日記 ]

2013年6月5日08:30:00

5月5日 日曜日

朝9時、22㌔はなれた「ヴェルサイユ宮殿へ、ルイ14世が50年にわたって建設した。何万人もの労働者を駆り出して働かせる一方では、気に入った貴族たちを招待し、毎夜のドンチャン騒ぎ、こうした「招待戦略」は、貴族の骨抜きを狙ったものだというが、その金ピカになった宮殿入り口曾孫ルイ15世には61人(私生児のみの数)の子供がいたり、15世の孫16世はブタのように食べて寝てばかりいたそうだ。革命の勃発の日の日記に「何事も無し」と書いていたとか。

さしものブルボン王朝も1792年にギロチン台に登り、滅亡している。

最初は、金ピカに塗装された宮殿の門へ、以前は金が剥げ落ちでいたが最近修復されたとのこと。宮殿の内部

宮殿内にナポレオンの戴冠とう絵画があり、

同じもナポレオンの戴冠式のがルーブル美術館

 

 

 

にある。

人物を一か所変えて、まったく同じものを書いたそうだ。 ジョセフイーヌ王女の耳飾りを鮮明に撮りたかったが、ここまで。

20年前に買った「レーザーデスク」では、耳飾りがアップされ「ストップモーション」で繰り返しみたものです。


貴族のイス宮殿内に入ると、200以上もあった
寝室、いずれも絵画がかかっています。王様の寝具

 

最後の王妃となったマリーアントワネットは、宮殿の庭に「掘立小屋」を建てさせ、田舎暮らしも楽しんだ宮殿から見た庭、池が見えるという。

 

二階のテラス席最後はこの二階テラスから、宮殿押しかけた反乱群衆に毅然として声をかけたという。ミッチーさんの目印

 

赤いのはミッチーさんのガイド用目印。中はスリが多いので注意するようくりかえすので、疲れてしまう。

この方、歌謡界の三橋美智也さんと兄弟弟子だったとかで、バスの中での「生オケ」は素晴らしく、宮殿内でも「私のルイ」とかのたまわって楽しませてくれました。

皇帝の公認「愛妾」となるには、既婚者でないとダメ。ルイ14世は足が綺麗だったことが自慢だったとか。

モンパルナスタワーからパリ市内を望む 

お昼は、待望のモンパルナスタワーへ、ここは210mの展モンパルナスタワーからの展望望ができる。 眼下にエッフェル塔。

右はシテ島のノートルダム寺院方面

ここでの昼食は「エスカルゴ」です。

食後のデザート食後のデザート

これはグーでした。

 

ルーブル美術館のナポレオンの戴冠式

 

 

集合場所の逆さピラミッド午後は、ルーブル美術館へ、「モナリザ」をめざして3階まで上がるも、人だかりで進めませんでした。でも、写真はOK。おおらかものです。

写真は集合場所の逆さピラミッドですが、この真上に正ピラミッドがあります。

 

シャイヨー宮の庭にてエッフェル塔が一番美しいという「シャイヨー宮」のテラスで

カミさんとツーショト。

セーヌ川クルーズ

 

 

 

そして、夕方からはセーヌ川クルーズへ。乗船の優先を巡り、人種差別を露骨にしてくる女性係員、皆で抗議したりもありました。

夕暮れの凱旋門夕日がやっと沈みかけた「凱旋門」と

シャンゼリゼシャンゼリゼ大通り大通りの散策までと

 

 

 

長い一日でした。

6月5日 恩田 和明


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