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2013年6月4日13:15:00
5月4日 土曜日
昨夜は、モンサンミッシェル地区に泊まり、朝早く「満潮」状態を見学したいと思っていましたが、予約が一杯で50キロ離れた「サン・マロ」に変更となってしまいました。
この港町は、17世紀に海賊の拠点となったそうですが、第二次世界大戦で8割が破壊された街だそうです。ガイドさんが、朝7時に城壁めぐりに案内してくれました。
市庁舎は土曜閉庁なので、城壁に上がってみました。海岸には古代の海のプールや海上には島の要塞もあり、要塞には干潮時に歩いて渡れるます。
同じドーバー海峡ですから、モンサンミシェル並みに「干満」の差が大きいのです。
この沖合は、イギリス領の島が点在しています。また向こうに見えるのはヒットラーに占領されたフランスを解放するため、連合国軍が上陸した「ノルマンディー」も望めます。
ここで、道路散水車を見かけました。この国の道路は真ん中がヘコンでいます。
高くなっている道路端に水をまいて汚れを洗い流すのだそうです。
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2013年6月3日07:20:00
5月3日 金曜日 イル・ド・フランスへ
ロワールから約200㌔、バスの中かから「ノートルダム教会」の尖塔が見えてきました。私は、こうした建物を遠くから見るのが大好きです。
内部のステンドグラスがすばらしかったですが、オペラグラスをトランクに入れたまま
忘れていました。これは、ステンドグラス見物の必需品です。
この教会では入り口にいやな雰囲気の若者がたむろしていました。どうも、スリの親分のような風体ですので、目を合わせないようにしました。
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2013年6月2日07:20:00
5月2日 木曜日 ロワール地方
トゥール(ツールの方が日本人向けですね)から、ロワール川沿いにさかのぼりますといたる所に古城が見えます。
行きは、あいにくの霧、着いた先に大きな「シャンボール城」これはすごかったです。
レオナルド・ダビンチが設計したという「螺旋階段」上がるときと降りる階段が別なのです。
16世紀にフランソワ1世が狩猟用に建てたいうお城、皇居より広いのでは。森の中に柵がめぐらされているそうです。主に「鹿やイノシシ」を狩って、付近の貴族ご婦人方にふるまったそうです。
次がシュノンソー城
エール川にせり出した城で3階建、台所も見学しました。ここの庭園はすばらしいものでした。デアーヌの庭はアンリ2世の2番目王妃「デアーヌ・ポアティエ」庭、正妻の「カトリーヌ・メディシス」は三番目の城主でカトリーヌの庭、6番目までの城主はいずれも女性、全体にやさしい公園のようなお城でした。
手入れが大変でしょうね。
でも、女性の皆さんぜひ一度 ご訪問下さい。
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2013年6月1日07:20:00
5月1日水曜日 カルカソンヌからボルドーへ
ここの高速道路沿いはどこまでも行っても「ワイン畑」延々と続きます。
なんせボルドーワインは有名です。しかし、ボルドーは1152年にイギリス王と結婚したフランス王女の持参金として「イギリス」領となったのです。300年間も統治した「イングランド王」は自国では取れない「ワイン」をせっせと作らせたのだそうです。
市内の「ガロング川」にかかる「ピエール橋」はとても美しです。この川の下流が「ジロンド河」、ジロンド党発祥の地です。
ボルドー美術館や大時計前で写真は撮れるのですが、中に入れません。
この日はメーデー、フランスの国家的「祝日」なのです。
日本人向けに開店していた「バックや宝石」の免税店だけが開店していました。
176€以上なら消費税分の17%が還付になるそうですが、当方には縁の無い話で
外でタバコを吸っていました。フランスのタバコは高く 8~9€もするようです。
そして公共の場所やホテルの室内では禁煙。でも、ホテルの外や公園、駅前などは灰皿用のポストがチャンとありました。
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2013年5月30日07:30:00
4月30日 ポンデュ・ガールへ
古代ローマ人が紀元前の19年に、支配地の「ニーム」に水を引くため建設したのが「ポンデュ・ガール」です。高さ約50メートル、一日2万トンの水をユゼスの水源から50キロ離れたニームまで流していたそうです。
勾配がないと水は流れない。それを計算していたのがローマ人、すごいところです。全部石造りです。
「塩野七生」さんの自慢が聞こえてきそうな規模です。
夜、たまたま見たフランスのテレビによると、 夏はこの場所で花火大会をするそうだ。また橋の最上部にロープを仕掛け、上から下へと落下するイベントも放送していました。
付近はピクニンクができるように整備されていましたので皆さんも気軽にお出かけ下さい。
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2013年5月29日09:48:00
今朝は、朝から雨、防寒服に身を固めアルル郊外の「ゴッホの跳ね橋」へ。
アルルには世界遺産となった古代ローマの「闘技場」と「劇場」跡があります。
この街でユーロへ両替しました。135円のレートで2万円が148.148€になりました。
成田では133.32円のレートでしたから、損した気分です。
これ以降、街の中に自動量両替機を発見しましたが、スーパーではヒザカードが使えるので実行しませんでした。
ところで、フランスはストライキやデモが活発です。サントロフィーム教会横の市庁舎内に「マリア」像があるのですが、デモ隊がジャマをしていて中に入れません。
そこで、わが団のマダム加藤、にこやかに「ボンジュール」と声をかけ、道をあけてもらったのです。この方、群馬の高崎市からの参加者でした。右の写真が「マリア」像。
サン・トロフーム教会は、門の上に天国に行く人、地獄に行く人などの彫刻があります。ロマネスクの傑作だそうです。
懺悔の小部屋があり、懺悔が多すぎて時間がたりない小生、素通りしました。
ゴッホが入院していた病院跡は、総合文化センターとなっています。
ここでカイドさんが、ゴッホの絵を説明しています。
とこがでこの絵、皆さんとこかで見たことありませんか?
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2013年5月28日11:30:00
4月28日 日曜日
コート・ダジュール地方にあるニースをはなれ、プロバンス地方のマルセイユに向かいました。途中には、来月(5月)に映画祭があるカンヌがあり、是枝監督の「そして父になる」が特別彰を受賞したようです。
マルセーユは2600年の歴史をもつ地中海の港町、丘の上にはノートルダム・ド・ラ・ガルト」寺院の塔が遠くから遠望できます。
ここは、海抜162メートル、海岸に浮かぶ「イフ島」が望めます。この島は「岩窟王」で有名、モンテクリスト伯やミラボー伯が流刑された島です。
ところで、やたら違法駐車が多く、小さい車も目にしました。なぜか。
古い建物には「駐車場」がないのです。なので道路の両脇に隙間なく止めています。後ろにぶつけ、前に押し出しで駐車スペースから脱出するのです。強固な車でないとダメなのです。古代から石の街、馬車で往来するので、道路も石畳。戦争で負けた城や教会の石は再利用されてきました。そとて、古い建物を大切にすることと、また税金の関係で、燃費なんて無視、トヨタのプリウスにお目にかかったのは、一台のみ。ゴーンさんが日本に来たのはよかったかも。
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2013年5月27日17:21:18
フランス旅行記
日本の外国人観光客は年間800万人、韓国1200万人、フランスはなんと8000万人もの観光客が押し寄せるそうです。だから、サービスは悪いし、スリも多い。なんせ「来てくれなくても結構」という国です。12間の旅でよく、その実態がわかりました。
何回かに分けて、ご紹介しようと思います。
先月の26日朝9時、成田ビューホテルのシャトルバスで空港に向かいました。
AF275便は、1時間も遅れて午後1時にフライトしました。シャルル・ドゴール空港まで約12時間、ここで乗り換えてニースので1時間半。
バスがホテルに着いたのは午後9時でした。それでも、南フランス陽は長く、まだ明るかったのです。
翌27日は土曜日で、最初に海辺の「プロムナード・デ・サングレ」と旧市街にある「サレヤ広場」の朝市に出かけました。
この海岸は高級リゾートホテルが
林立しているそうで、プラスベート
ビーチもあります。
この日は、時折雨がぱらつき、さすがに泳いでいる人はいません。
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2013年4月19日11:43:00
4月18日、後楽園球場で行われた「巨人・阪神」戦をみに出かけてきました。
顧問先の㈱ケー・シー・シー「高野建夫」会長が用意してくれたのは、前列から6列目 の5.6.7番シート、私のほか熱狂的な阪神フアンの山本隆三さんと三人で陣取りました。まずは、生ビールで喉をうるおし、先発メンバーの発表を待ちました。
巨人の先発は中大出の有名な澤村拓一投手、期待が高まります。
しかし、1回に2点の専守点を上げられ、3回には4番のマートンに2ランをあびてしまいます。
結局8点を献上し、巨人が上げたのは8回の1点のみ、ようやくこの日くばられた黄金色のタオルがスタンドをまいました。
審判の後ろでしたので、阪神の榎田投手の緩急をおりまぜた好投がよくわかりました。
12勝3敗の巨人、うち3敗とも阪神とのこと。どうも最悪のゲームにあたった一日でした。
阿部慎之介の一発を
期待してカメラを構えましたが
打上てしまったシーン。
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2013年4月18日14:33:00
先日、六本木ヒルズ森タワーに行ってみました。
52階の「森アーツセンターギャラリー」で開催されている「ミュシャ展」を見るためです。
左のホスターはミュシャの長女です。
しっかりした目が印象的です。
以前、社労士会の旅行でプラハに二度ほどいきましたが、アルフォンズ・ミュシャは、1860年でチェコに生まれてます。
彼を有名にしたのは、パリで女優「サラ・ベルナール」のポスターを手掛けたことによるそうです。 右は王妃「ジスモンダ」1894年
その後さまざまな宣伝ポスターを依頼され、一躍大富豪になりますが、43才で渡米し、油絵に転じます。50才でチェコに帰り「スラブ叙事詩」という大作を完成させています。
先週NHKの「日曜美術館」で紹介されたためか
平日でも、大変混雑していました。